コラム

【終末期医療に携わる医師が寄稿】死期を前にした親との向き合い方

この記事の内容

今は元気に暮らしている親も、いつかは必ず死が訪れます。年齢の順に旅立っていくことを考えれば、そのときに親を看取るのは、子どもです。

実際に親が亡くなってしまうと、「もっと親の希望を聞いてあげればよかった」「もっと一緒の時間を過ごしたかった」と後悔してしまう場合もあります。とくに、体が弱り死が近づいてくると終末期医療を受けるのが一般的ですが、そこでも本当に親の希望どおりの最後を迎えられたのかと考えてしまいがちです。

そこで、終末期を迎えた親とどう向き合うべきか、緩和ケア医の大津秀一さんに寄稿していただきました。多くの人の旅立ちに立ち会ってきたからこそ知る、人の最期への臨み方をご覧ください。

親が元気なうちにしておきたいこと


私は緩和ケア医としてこれまで多くの看取りにも携わってきました。2000人以上の患者さんの終末期に関与してきましたので、その数倍の人数のご家族とともに看取りをしてきたということにもなります。その立場から、どうしたら親をよく看取ることができるのか、それをお伝えしていきたいと思います。

実は良い看取りは、元気な時から始まっています。これはどういうことでしょうか?病気というものは、最後まで自分の意思を保てるものではありません。たとえば認知症になれば、意思決定が難しくなることは想像にかたくありません。しかし意思決定が困難になるのは認知症ばかりではありません。がんや老衰でも状態が悪化すれば、意思を伝えることは困難になります。

その時どうなるのでしょうか?そうです、子である皆さんが、代わりに判断しなければいけなくなるかもしれないのです。たとえば回復が困難な状況となったとき、生命を永らえさせる方法はいくつかあります。また口から食事が取れなくなった時、胃に穴を開けて栄養を送り込む胃ろうや、鼻から管を入れて行う栄養療法など、さまざまな手段があります。そのようなときに、一体どうしたらよいのか? もしそれを事前に一度も話しあったことがなかったら、どう決断したらよいのか困ることでしょう。

そのため勧められるのが、元気なうちから「もしもの時」をよく話し合うことです。それが「話しあっておけばよかった」「親の意思がよかったか確信が持てない」そのような悔いから私たちを遠ざけてくれます。またしばしば、このような事柄は元気なうちだからこそ、忌憚なく話しあえる側面もあるのです。体調が悪ければ、そもそも話す気力がなかったり、細かな理解や意思表示が難しかったり、あるいは気遣いから話せなかったり(親が死を意識するのでは等)する難しさもあるのです。盆暮れ正月、コロナ禍が落ち着いて家族が一堂に会するような機会があれば、ぜひ話しあっておくべきです。

楽クラライフノートで情報共有するのはもちろん、親の希望によって延命治療に関する事前指示書、尊厳死宣言公正証書を用意するのがよいですが、大切なのは何よりプロセス。話しあって考え方を共有し、皆で相互理解するというプロセスがもっとも後悔を減らすことにつながるのです。

終末期医療を受けることになったら


終末期医療も、病気によってさまざまな経過が予測されます。たとえばがんだと、在宅医療を選んだとして、それが長期間に及ぶということは決して多くはありません。一方で認知症や老衰、脳卒中後遺症などだと、数年単位の在宅療養となる場合もあるでしょう。まずは病院のソーシャルワーカーや、地域のケアマネジャーとよく相談することです。

ここでよくありがちな問題は、無理をして潰れてしまうことです。在宅療養が予想外に長くなるケースもあり、無理は長続きしません。そのため、使えるサービスは十分に使い、介護者の負担をできるだけ軽減する必要があります。また家族が複数いる場合は、お互いの役割についてよく話し合い、負担を分担できると良いですね。

在宅医療のほかにも、訪問看護、訪問介護、訪問リハビリテーションなどさまざまなサービスがあります。ケアマネジャーなどとよく相談し、必要なサービスを導入し、そして自分ができるだけ続けられる介護体制を組むことが大切でしょう。ショートステイなどをうまく活用し、上手に自分の生活と介護を両立されている方も少なくありません。なんでも自分でやってあげたいという強い気持ちはひとまず脇において、頼れるものは最大限頼る。これが長続きの秘訣といえそうです。

また病院や施設で親が療養する場合、現在はコロナ禍で面会がままならない状況が続いていますが、可能な限りで面会の機会を保ち、コミュニケーションを欠かせないことが親の現状や思いを知る重要な情報となります。それもまた最終的には良き人生の最後の看取りにつながってくるともいえましょう。

ベッドに横たわる親とどう向き合うか


少しずつ病状が進み、親の状態が悪化します。そのようなときに、子である私たちは何ができるでしょうか。

ここで大切な原則があります。これを介護者の立場だとしばしば見失ってしまうので、忘れないことが大切です。それは「自分がしてあげたいことと、親が望んでいることは違う」ということです。私たちはケアにおいて「これがしてあげたい」と思います。ただそれは眼前の親が本当に望んでいることでしょうか。たとえば最後の思い出に旅行につれていきたいと家族は思っていても、本人はもうそんな体力はないので、ただ脇にいる時間をもう少し増やしてほしいと思っているだけ、という場合もあります。

大切なのは、できるだけ尋ねること。それを詰問調ではなく、優しく問いかけることです。そしてその思いに沿ってあげることです。これができれば大きく外すことはなくなります。

緩和ケアの世界には以前から重要な言葉があります。「Not doing, but being」という言葉です。することではなく、そばにあること、「座ること」と「聴くこと」それが大切なのです。そのときの親が何を思い、何を望んでいるのか、それを汲み取ろうとすることが、親に対してできる大きなこととなります。たとえ意識が低下していたとしても、これまで十分一緒の時間を過ごしたり、思いを聴いたりしてきたのならば、「どうしてあげるのがよいか」さまざまに思いつくでしょう。それをしてあげるのも良いですが、脇にいることでも十分なケア、できることになるのです。

一方で、ケアに当たる側には負担がかかっているのが通例です。できるだけ任せることは任せ、また家族で分担することも大切です。親を看取る子である一方で、自分の子を持つ母や父である場合もあるでしょう。その場合は上手にバランスを取ることです。周囲ともよく相談するのが良いでしょう。

高齢の親を看取る場合に、もうひとりの親をどうしたら良いのか。これも最近よく尋ねられる事柄です。もうひとりの親の状況を見て、そして希望を尋ねて、最適な関わり方を見つけるのがよいでしょう。がんは例外的に、最期の時間を予測しやすい病気とは言われていますが、人の最期は100%予測できません。そのため、医師ともよくコミュニケーションを取りながら、もし余命があまり長くないとすれば自分も後悔をしないように、話すべきことは話したり、ほかのこともおこなったりしてゆくのがよいでしょう。ただし何度もお伝えしてきたように、親の気持ちが大切です。自分の思いではなく、親が何を望んでいるのか、それを一番の価値判断の基準とすれば、よい看取りに近づくはずです。

親の最後に立ち会うとき


最期のための心得についてお伝えします。まず最期に呼吸停止・心停止となるわけですが、そのときに居あわせること=看取りではない、ということです。日本は以前からこの「死に目に会う」を大切にしています。しかし、呼吸停止・心停止の瞬間に居あわせるよりも、もっと早くからともに時間を過ごすことがより大切なのではないかと思うのです。

先ほどお伝えしたように、死期は医療者からしても予測できる場合ばかりではありません。ただよく医師などとはコミュニケーションを取り、親の死期についても想定しておくことは大切です。予測していない場合(とはいえそれが不可避であることもあるので難しいのですが)、衝撃は大きくなるからです。あまり準備ができていないということにもつながります。看取りは人生でそう何度も臨むものではありませんし、親の容態の変化に戸惑うのがむしろ普通でしょう。それについてよく医師などに尋ね、できることの助言を求めるのがよいでしょう。

耳は最後まで聞こえているといいます。大声ではなく、耳元で優しく、伝えたい言葉をかけてください。反応がなかったとしても、届いている可能性は十分あるでしょう。ここでも、親は苦痛なく過ごすのを求めていることでしょう。「食べないと」と無理に食事を口に運ぶのではなく、たとえば口を湿らせるなど、快適であることを優先するのがよいでしょう。

最後は急にゆっくりな呼吸となり、程なくして呼吸停止・心停止となり、医師が死亡確認をおこないます。在宅などの場合は、普段来てくれている訪問診療医がいれば連絡することで死亡確認をしに訪れてくれるでしょう。死後のケアや処置に関しても、訪問看護師などの言葉に従って進めてゆくことになります。関われる人が全員で心を込めて行うことは、見送った側の「やり切った」という思いにもつながることでしょう。

結果よりもプロセスを大切に


人生で何回もない「親の看取り」それはかけがえのない経験です。一方で、慣れないのが普通であるために、驚き戸惑い、予想したとおりにならないのはむしろ当たり前だと思ってください。

そして大切なのは、結果ではなくプロセス。親の終末期に一緒に関わる、よく話しあい、悩み、選択し、できることをおこなう。それを丁寧におこなうことはきっと後悔がないケアや看取りにつながってくれるでしょう。まずはまた親と会えた時に、じっくり話しあうことから始めてください。

まとめ

2000人以上の患者さんを看取ってきた大津さんの寄稿を、読者のみなさんはどう感じられましたでしょうか。苦しそうな親の姿を見ると、つい何かの手助けをしてあげたくなってしまう場合もあると思いますが、それが本当に親が望んでいることとは限らないというのは、非常に考えさせられる問題だと思います。

こうした親の「本当」の希望を知るためには、大津さんがいわれているように元気なうちから話しあっておくのが必要です。そろそろ、お盆の季節がやってきますが、帰省される際には恐れずに「最期」について話してみるのがよいかもしれません。


(情報は2021年7月28日時点のものです。)


この記事を執筆した人
大津 秀一

早期緩和ケア大津秀一クリニック院長。岐阜大学医学部卒業。緩和ケア医。日本緩和医療学会 緩和医療専門医、総合内科専門医、がん治療認定医、日本老年医学会専門医、日本消化器病学会専門医。内科医、ホスピス医、在宅医を経て大学病院緩和ケアセンター長を務める。2018年に早期からの緩和ケアに特化したクリニックを設立、全国からの相談にあたっている。著書に『死ぬときに後悔すること25』(新潮社)、『傾聴力』(大和書房)などがある。

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